令和8年は丙午(ひのえうま、へいご)の年です。
丙午というと、この年に生まれた女性は夫に祟るなどと言われ、出生を忌み嫌われる年でもあります。前回の丙午(昭和41年(1966年))においても、出生数が前年を下回るという社会現象が起きています(今の少子化による出生減の傾向とは違い、当時は出生数がどんどん伸びている時代でした)。
こういった迷信は、現代でも根強く残っていると考えれ、令和8年の出生減が更に加速することも警戒されています。
丙午の意味
参考図書によると、本来の「丙午」は、「丙」が昨年の「乙」でまっすぐには伸びられない芽の状態から進んでしっかりと発展する状態を表すが、成長し放しではない、「午」は陰が陽を冒して上昇する状態を表すそうです。
つまり、昨年からはっきりと成長するもの、反対勢力も成長していることを指しています。
反対勢力をマネジメント
前節の反対勢力とは何も人間関係や国際情勢などの意見の相違だけではなく、経済成長による弊害、自身の内に阻害要因が潜んでいる状態があげられます。
令和7年の流行語大賞に高市首相の「働いてx5まいります」が選ばれました。もちろんこの言葉は重要なことですが、度が過ぎると弊害で体を壊す(これが反対勢力)可能性が高まり、このために健康管理をしっかりする(マネジメント)必要があります。
こういった反対勢力をうまくマネジメントをすると、翌年の丁未には更に発展が期待できるということです。
丙午の出来事
60年に一度回る過去の丙午の大きな出来事を見ておきたいと思います。
文治2年(1186年)
前年の壇ノ浦の戦いを経て平氏が滅び、源氏の世となるが、源氏の棟梁である源頼朝に対し、源義経が対立勢力として台頭してきた時期です。
弘化3年(1846年)
孝明天皇が即位し、時代の代わりを予感させます。
旺盛な幕府勢力に対して、対抗勢力が伸びだしてきます。鎖国中ではありましたが、外国船も度々見かけるようになり、幕府に対して反対勢力である外国勢力や国内の勢力が伸びだした時期です。
明治39年(1906年)
前年に日露戦争のケリがつき、ロシアに勝ったと勘違いしている国民全体が気分が高揚し、その後高慢、放漫な態度を取るようになってきた時期です。
昭和41年(1966年)
昭和41年は、戦後大変な苦労をかけて復興してきた日本が、年率10%の高度経済成長を更に発展させ、いざなぎ景気が始まった時期です。前回と同様国民が高揚する一方、公害病やゴミ処理などの環境問題が顕在してきた時期でもあります。
おわりに
令和8年は、日本は内面では金利上昇による不透明感、外面では中国との対立など、反対勢力(負の部分)がありますが、これらをうまくマネジメントして、さらなる発展を願っています。
▼関連図書
価格:1870円 |
▼関連記事

コメント